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変わるものと変わらぬもの

2015.05.19 Tue

ご報告が遅くなってしまったんですが、4月の始めに陸前高田へ行ってきました。

今回は娘と二人旅です。明け方に出発、今回は復旧を終えた、常磐道をそのまま北へ、仙台経由の一関IC着というコースです。今まで通れなかった原発周辺では、除染された土が黒いビニールに山積みになっていました。怖いくらいのビニールの数。人の気配が無く、草木が荒れ放題の地域もありました。高速沿いに放射線量を表す掲示板が設置されており、数量の高いところもありました。また宮城の海沿いでは、あちこちで復旧作業に追われていました。新しい家が建ち、道路が整備されていました。休み休み走って、友人宅のある一関に到着しました。

少しお家にお邪魔してお母さんと談笑。お変わりないようで安心しました。いつもおもてなし頂いて恐縮です。その後、友人に高田市内を案内してもらいました。一関から陸前高田までは峠を越えて小一時間です。所々道が新しくなっていました。というのもダンプが多い。大型も通れるようにバイパス的な道を整備中だとか。その後は高台の市役所へ。建物は仮設のままでしたが、となりに立派な消防署ができていました。続いては街中へ。現在陸前高田市は、ベルトコンベアを導入し、近隣の山の土砂を削り、土地の高さを、かさ上げしております。重機や人の手よりも、コンベヤの方が処理能力が高いために導入したそうです。街並みは前回と変わっていました。まるでどこかの工場にいるかのよう。この作業もあと数年掛かるそうで、整地するだけでも途方のない時間が必要とされます。

最後は一本松のモニュメントへ。この付近だけは何も変わっていません。毎回訪れて思う事は、いつになったら普通の生活が出来るんだろう?ということです。答えはずっと先でしょう。復旧作業も思うように進んでいないようです。それでも此処で生活する人がいる事を忘れてはいけないと思います。生まれ育った故郷はこの場所でしかないのだから。娘とも道中沢山話をした。はじめての二人旅で娘はどんな風に感じたのだろう?また来ようね。友人よ。今度はゆっくり飲もうぜ。
rikuzenntakada.jpg



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がんばっぺし!

2013.09.21 Sat
2013.9/15~
陸前高田へ行ってきました。今回で確か・・5回目の訪問です。

地元茨城県牛久市から一関までは高速で約6時間。朝方に出て10時過ぎに一関に到着です。
まずは友人のご家族が生活する一関で一年振りの再会。快く迎えて下さいました。
お互いの近況を報告しあいながら軽く話す。

その後、友人の案内で移動。いつもこちらの都合で拘束させてしまい申し訳ない(^_^;)

今回は一関~気仙沼~陸前高田という道のり。
一関は内陸に位置し東北道にインターがあります。震災の影響は比較的少ない方だと思われます。
あくまでも海沿いに比べれば、ですが。内陸から太平洋側に位置する気仙沼へ。

気仙沼は宮城県です。陸前高田は岩手県。ここは県境でもあります。
気仙沼も被害は深刻です。地盤沈下が起きており漁港と海の境目があまりない印象です。
そして流された超大型タンカー。漁港から500m流されました。
今月このタンカーの解体が決まりました。
やはりもう見たくないという声が地元では多かったようです。
現在は囲いで覆われています。手前にあるのは献花台。
20130920a.jpg

陸前高田市内へ移動。
この辺りはリアス式海岸で地形が複雑です。比較的地形の良い場所に小さな漁港がいくつもありました。
しかし、地形の良い場所に津波が集まってしまったそうです。
漁港を超えて山を駆け上がり、生活地域にまで深刻な被害をもたらせました。

現在、漁港の一部では水産加工の工場等が建設されていたり、
商店が仮設ながらも営業を再会したりと明るいニュースも聞けました。

復興のシンボル「奇跡の一本松」へ。
高田松原の約7万本の中で唯一残ったが枯死。幹を防腐処理し、枝葉をレプリカで再現して復元。
7月に完成しました。簡易ではありますが歩道が整備されていました。
20130920c.jpg

台風直撃という日に訪れましたが、私を含め見物人は沢山おりました。
このエリアは国営の防災メモリアル公園になるそうです。友人から説明を受ける嫁。
20130920e.jpg

海からすぐ近くの山は削られていました。街中では、今後10mの盛り土をする予定だそうです。
もう以前の街には戻らないと思うと複雑な気持ちになります。
20130920d.jpg

友人宅周辺。この地区では震災前の街の様子をパネルで展示していました。
山とは対照的に、ここの景観は一年前と何も変わっていませんでした。
手つかずのまま。雑草だけが伸びていました。
20130920h.jpg


震災から二年半。風化してきている部分もあるかと思います。

友人が被災してしまって、何かしたいと思って現在まで行動しています。

このブログもその一環です。ブログを見た方が何かを感じ取ってくれたら嬉しいし、

今も不便な生活を強いられている人が沢山いる事を忘れて欲しくない。

そして、その方々を支えようとしている人がいる事も忘れてほしくない。

毎月、被災地に野菜を持って行っている方
ボランティアで行方不明者を捜索するダイバーの方

やはり、時間の余裕があれば被災した地へ足を運んで見て頂きたいです。

まずは行動ですな!!






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けんか七夕 in つくば

2012.09.16 Sun
9/15(土) 東日本大震災で被災した
岩手県陸前高田の「けんか七夕の山車」と「けんか太鼓」がつくばにやって来ました。

この日のために陸前高田からわざわざ運んできた「けんか七夕」で使用された山車。
とても華やかでした。
20120916b.jpg

つくば市役所前を練り歩く。
20120916a.jpg

祭りの主催は、昨年からチャリティーカレンダー販売などで復興を支援してきた
大手スーパーのカスミさん。今年に入り集まった寄付金を
陸前高田の「まつり実行委員会」と「祭り保存連合会」に贈呈。
素晴らしい取り組みです。

つくば市役所にて「けんか太鼓」を披露。
生の太鼓の音は腹にキマすね。低音が気持ち良かったです。
20120916d.jpg

友人もお囃子で参加。
20120916e.jpg

復興へ向かう気持ちの入った演奏にジーンときちゃいました。
20120916f.jpg

娘と友人と記念撮影。
来てくれてありがとう。また行くね。がんばっぺし!!
20120916c.jpg














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ちゃんみよTV その③「陸前高田編」

2012.07.25 Wed
ustream「ちゃんみよTV」にて陸前高田の様子を紹介させて頂きました。

和泉屋本店の吉田君と共に街の様子を動画形式でお伝えしています。

ちゃんみよTVは1時間ほどあります。ぜひ、ご覧ください。

がんばっぺし!陸前高田!!



Video streaming by Ustream




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これからも。

2012.07.22 Sun
2012年7/15(日)~16(月)で陸前高田を訪れました。

奇跡の一本松
一本松

一本松の土台
一本松

高田の松原
一本松

仮設店舗
陸前高田

仮設の陸前高田市役所
陸前高田

全国から寄せられた、一本松のモニュメント
陸前高田

復興を願った千羽鶴
陸前高田

陸前高田市役所
陸前高田

体育館
陸前高田

アリーナ
陸前高田

体育館駐車場
陸前高田

重機
陸前高田

気仙沼市内の船
気仙沼

船は駅前まで流された
気仙沼






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日進月歩

2011.11.24 Thu
11/19~21にかけて一関~陸前高田に行ってきました。
以前に訪れたのは6月末でしたので少し間が空きました。

津波の破壊力を見せつけられた瓦礫の山は
着実に片付いている印象でした。

市内は仮店舗ながらも営業を再開させた店舗が増えて
活気も取り戻しつつあるようです。

しかしながら、行方不明者は陸前高田市だけでも264人。(陸前高田市HPより抜粋)
少しでも身元が判明されて、ご家族の元へ帰れることをお祈りするばかりです。

朝方5時ころに出て、一関に着いたのは11時過ぎくらいでした。
ちょうど6時間。色々思い返しながら走っていると長い距離もアッという間です。

まずは一関市内にある㈱和泉屋本店さんの仮住まいへお邪魔しました。
吉田君のお母さんが温かく迎え入れて下さり、
うちの子は居心地が良かったようで、はしゃぎ回っておりました。
ご迷惑をお掛けしてスイマセンでした。笑
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という訳で・・
今回はうちの子供と奥さんも同行しました。
被災地が少し落ち着いて来た。という判断と
子供には見せておきたかったという理由からです。
それから新潟の味噌屋さんで「糀屋団四郎」のヤスヨさんもご一緒して頂きました。
彼女は学生時代に知り合った我々の仲間です。
吉田君は大学の実習でお世話になったとか。
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中心地の大型店舗は手つかずのまま
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瓦礫も撤去してある所とそうでない所がありました
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地盤沈下により海面が押しあがってしまいました。
ここはかつて陸地だった場所
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一本松もなんとか踏ん張っているように見えます。
状況はギリギリだそうです。
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津波でやられた堤防も石を積んで補強されてました
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瓦礫置き場。ここから分別され運ばれて行きます
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海の前の中学校。ここもかつて瓦礫の山でした。
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和泉屋本店付近には、新たに見つかった醤油が並べられていました。
近隣の方の願いでしょうか?
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車は依然と比べ大分増えた気がします。
ダンプカーは分別された瓦礫を次々に運び出していました。
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吉田君とうちの奥さんと糀屋団四朗のヤスヨさん。
吉田君から現地の状況を説明してもらってました。
111119a.jpg

解体された木桶。
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木桶を使って何かやってやろうと企んでおります。
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着実に前進している街を見て少し安心しました。

夜は飲みながら味噌談義。これがまた良い時間でした。

大人数で押し掛けてご迷惑をお掛けしたと思います。
快諾してくれた吉田君とお母さん、ありがとうございました!!

またお邪魔しますね。


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復興に向かって③6/25~26

2011.07.18 Mon
6/25日に陸前高田市を訪れた時に撮った写真です。

皆さんにも現状を知って頂きたいので掲載させて頂いております。

画像をクリックすると大きな画像が見られます。

御神木。この時ちょうど専門家の方が来ていて
新芽が出ているから大丈夫だろうと言っておりました。一安心です。
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新たに木桶を発見。道路はこの下の位置にあります。
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瓦礫の山。とてつもない量です。
持って行ってもらうには、これを分別しなければなりません。
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剥き出しの鉄骨。複数のお店が入っていたそうです。
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消防署。これではどうにもなりません。
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市の施設。機能できません。
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街のメインストリート。何もありません。
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110718i.jpg

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暑い日が続きますが、引き続き援助を!

宜しくお願い致します!




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復興に向かって②6/25~26

2011.06.29 Wed
6/25日に陸前高田市を訪れた時に撮った写真です。

皆さんにも現状を知って頂きたいので、何回かに分けて掲載させて頂きます。

画像をクリックすると大きな画像が見られます。

醤油のもろみが入っていた木桶。
5月に訪れた時と同じ状態で残っていました。
110628a.jpg

真中に友人2人が居ます。
人が写ると規模の大きさが分かりやすいと思います。
奥に見えるのは小学校と体育館。体育館の屋根が焼けています。
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この階段の上は、津波が来た当日に地元の方が避難した神社だそうです。
階段は流されて、山肌が削り取られています。
階段の手前には鳥居もあったそうです。
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変わり果ててしまった街並み
電柱だけは新しく建て替えられていました。
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真中にある人影は警察の捜索隊だと思います。
全国から警察官が応援に来ていました。敬礼。
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復興を祈り掲げられた旗。
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来る途中は雨でしたが、現地では天候に恵まれました。
右手の橋は仮設ですが、もうすぐ開通できるそうです。
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捜索隊の方々。今でも週に10体くらいの遺体が上がるそうです。
真中の黒線は個人名と連絡先が書いてありましたので加工しています。
しかしながら、津波の被害は計り知れません。
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最後に、
僕たちが訪れた当日、
震災後から行方不明となっていた彼の祖母が見つかりました。
経緯は詳しくはお伝えしませんが、DNA判定で身元が判明したそうです。

早くお父さんも見つかると良いですね。



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復興に向かって①6/25~26

2011.06.29 Wed
商品と被災地の様子を一緒にお伝えするのは不適切だと思いましたので、
少し編集しました。内容は重複している部分があります。
一度読んで頂いた方申し訳ありませんがご理解をお願い致します。


2011年6/25~26にかけて、2回目の陸前高田市訪問。
復興には長期的な時間を要するのは間違いありません。

何年掛るかは分かりませんが、
復興の様子を自分の目で追いたいなと思いました。

そこで「陸前高田」というカテゴリーを追加しました。
こちらをクリックして頂くと被災地の様子が分かるようにしています。

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3か月を少し過ぎた被災地の現状です。

ガレキは部分部分ではありますが、片付いてきてました。重機やダンプのお陰ですね。
110626.jpg

流されてしまったビートルズの赤盤。
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彼の家のすぐ近くの燃料屋さん。奇跡的に建物が残っているが非常に危険。
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市内に何軒かある味噌・醤油屋の中で、市内で1番大きい醤油屋さんです。
工場内はメチャクチャです。
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和泉屋本店の前。ペットボトルに入った醤油が無造作に置かれていました。
きっと地元の方々が見つけて敷地内に置いて行ってくれたのでしょうか?
でも、「もったいないけど、この醤油はもう使い物にはならないね。」と彼。
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まだまだ写真はありますが、今回はこの辺にしておきます。

この土地で作られた歴史ある蔵を絶やさないように。
これから先の未来のために。

できるだけサポートして行きます。



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被災地へ

2011.05.05 Thu
物資を積んで陸前高田の友人のところに行ってきました。

なるべく早く自分の足で行きたかった。

でも直接連絡が取り合える状況ではなかった。

少し前にやっと小まめに連絡できるようになった。

彼に予定を調整してもらい、5月3日の深夜に茨城を出発。

東北道の一関インターまで6時間、なかなか遠かった。笑

彼は現在、陸前高田市から一時間ほど内陸に入った
一関市でご家族と仮住まい生活をしている。

一関の仮住まいの家には4日の朝に着いた。

何年かぶりの再会、彼は憔悴している様子だった。

お互いにこんな形で再会したくなかったね。なんて笑った。

一関市は陸前高田市とさほど離れていない距離にも関わらず、
被害状況は僕たちの住んでいる地域と変わらない印象だった。

彼も言っていたが、やっぱり津波がね・・・と

1時間くらい色々話をして、
僕は「陸前高田に行きたいんだけど・・」と切り出した。
「どんな状況か見させてもらっても良い?」と

被災地の景色・空気・においを体感したかった。

了承してもらい、陸前高田市へ。
峠をいくつか越えて、1時間弱走った。
途中、とてつもなく大きい石が3、4つ無造作に転がっていた。

あの石、地震の前は無かったんだよね・・と。

そして陸前高田市に入る。

橋は流されていて、1か所からしか市内には入れないそうで渋滞が起きていた。

GW中ということもあり、僕も含め他県ナンバーの車が多数見られた。

地元の方が知っている裏道から市内へ。

まだ海からかなりの距離があるのにそこはもう別世界という感じだった。

家財道具・畳や電化製品が道路脇に出され、
家の中の土砂や流れてきたものを住人の方が掻き出していた。

彼の話によると、
ここは海からの5kmくらい離れたところだが、ここまで津波が来たんだ・・と

彼が4月末まで避難していた場所はこのすぐ上だったそうだ。

そして海側へ向うため、川の土手沿いを走る。
川沿いの竹藪が海水で枯れていた。

どこを見てもガレキ。
しばらく写真も撮れずに、ただその景色を見るだけだった。

しばらく走って彼の自宅があった場所に到着。

僕は思わず、「ここなの?」と聞き返した。

自宅と醤油蔵があるはずのこの場所は、基礎だけを残して何も無かった。

少し離れた場所にもろみの入った木桶があったが、中は海水に浸かってしまっていた。
20110521a.jpg

ボイラーや洗瓶機も無残な姿になって放置されていた。何もかも使える状態じゃない。

なんでこんなになっちゃったんだ・・やり場のない悲しみがこみ上げた。

もうちょっと見て欲しい場所があるんだと、中学校へ案内されました。

彼の通っていた中学へ。海の真ん前。グランドは砂で覆われガレキ置き場になっていた。
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3階のガラスが割れていた。津波がこの学校越えてきたんだよね・・と

この日の波は穏やかで、海もきれいな色をしていた。

川を挟んで高田松原の松。一本だけ残った。
この松も「希望の松」としてテレビで取り上げられていたハズ。
枯れないでほしい。
20110521c.jpg

続いて山の高台へ。彼が津波が来たときに避難した場所。

後ろはすぐ山。ここまで逃げないと無理だった。と

彼が住民を誘導し避難させた消防車。この車両も流されてしまった。と
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高台のお寺へ。この寺は4月に花見をやってテレビにも出ていたところ。
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この地域はお墓やお寺が高い場所にある。先人たちの教えか。

写真の奥にある大きな川には橋が2つあったが、流されてしまった。

お寺で彼の後輩に会う。彼の後輩は写真を持ってきた。

彼の子供の頃の写真のようだった。支えになるね。

嬉しそうに受け取った。

彼はこれから林業の仕事をするそうだ。知り合いの方が雇ってくれたそうだ。

まだ仕事があるだけ良いと言っていた。街が丸ごと無くなってしまったんだ。

がんばれよ。なんて気安く言えない。

また来るよ。と言って岩手を後にした。

また必ず行くから。



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